身体探求の日々
2012年9月13日木曜日
2012.9.12の思事
本来の”言葉”はその裏にある情景などが含まれた上で”言葉”となる。
しかし、現代において”言葉”はなにかを示すための記号として使われることが多いのだろうと思う。
なにかを示すから、その言葉から連想されるストーリーなどなくていいのだ。
むしろ余計なストーリーがあるほうが余計にわからなくなる。
でもそれって、違うんじゃないかな?
(F/T12キックオフフォーラムでの思事(しごと))
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