パンが目の前にあった。
これをいつ食べるかで呼ばれ方が変わる。
朝食だったり、昼食、夕食、夜食…。
いつ食べても同じパンなのに。名称が違う。
いま朝食としてパンを食べていても、地球の裏側では夕食として食べている。
同じ瞬間に食べてもそのときの私たちの認識でそのものが変わる。
というより、パンは変わらないのだが、パンを食べる私たちの行為への私たちの認識が変わるのだ。
そのことをよく知るとはなんだろうか。
そのことをよく知ったと思って満足する自分を知ることなのか。
自分とはなんだろうか?
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