感情が様々に変わるように、身体の状況も刻一刻と変わっている。
それも状況によってはだんだんと変化するわけでなく、急速に変化する場合もあり、その変化の速度に頭はついていけない。
身体感覚を鋭敏にすることが必ずしもベストであるということはないと思うが、常に移り変わる身体感覚やそれを取り巻く周りの環境に間に合わせていくためには、ある程度の身体感覚の向上が必要となるだろう。
鋭敏にするというより身体勘を磨くというところだろうか。
身体を磨くことは動作だけでなく、物事の考え方や捉え方をより吟味していくことにもなる。
つまりは生き方について考えていくことにもなっていくのだろう。
少なくとも私は身体を通して動作ということだけでなく、生き方を学んでいる。
その生き方の中でまた新しい身体の可能性や動きが見つかっていく。
そしてまだまだこれからと思う反面、これだ!というときはずっとないだろうことを感じている。
しかしその完成されたものいう感じでない要素が漂っている身体というものは、安定の中の不安定さという感じで、私にとってはとても心地よかったりするのだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿