2011年5月31日火曜日

準備体操をするとは…

twitterで準備体操をするかしないかについてのリプライをもらい、考えだした。

「準備体操は必要なのか?」

この問いにたいしては、その人が準備体操をしないと不安だったり、気になったりするのであれば、準備体操をしたらいいと私は思う。
ただ、もしいわゆる準備体操をしなくても平気であるなら、そのまましないで今度は本当に自分に必要な準備を探ってみることをお勧めしたい。
きっとなにかのチャンスになるはず。
なぜならそれはいわゆる「準備体操」という言葉から連想されるような動きとは異なるその人それぞれの「そのことをする前の準備動作」をなんらかの形でしているだろうと思うからだ。

落ち着かないときに深く呼吸をしたり、ちょっと不安なことがあれば身の回りの様子に耳をすませたりする。そういった自然と体が反応して起こることはその状況への準備のひとつだと思う。
なにかをする前にも、準備の動作を頭で考えてすることではなく、自然と体が感じて動くようになることが大切であり、焦りは禁物。
だからこそ、いろいろ考えてしまって自分が不安になるくらいであれば、なにも無理してやることはなく、自分が落ち着く段取りで始めていくことが必要だろう。そうすることが体を磨いていくことにつながっていく。

身体感覚にたいして本質的に興味がでてくれば、いずれ体の感覚は自然と変わってくるのだから。

2011年5月26日木曜日

よみうりカルチャー自由が丘で講座をしています

観客参加型学校という見方をして高校時代すごしていた自分について書こうとおもっていたら、まさかのデータが飛んでしまった。
紙ならないことに、なんとも言えない気持ちに苛まれるが、これもまた今のタイミングで出すものでなかったのだろうと思うと、後に引くものはない。
またそのときが来たら書こうと思う。

本日はよみうりカルチャー自由が丘で講座。
ここは14:30〜15:30と変わった時間になっているが、3ヶ月10回講座ということで、ほぼ毎週やっている。
7月期からはまた新規にも募集をするので、興味ある方はご参加ください。

詳細はこちら
http://www.ync-jiyugaoka.ne.jp/program/c2015_2015008_1297131436.html

2011年5月24日火曜日

火傷をしそうになって…

昨日、紅茶のティーバックを取り出す際にこぼれた紅茶が手にかかって、火傷をしそうになった。
十分なお湯の量だったので紅茶の温度もまだ高く、なにも処置をしなかったら確実に水ぶくれになっていただろう。ヒリヒリした感じが続いていた。
しかしそのときはすぐに水もなければ冷やせるものもない状況。
さてどうしたものかと頭を回転させていたところ、ふと思いつく。
舐めればいいのでは?
ちょうど原住民族の映画を観たあとだった影響もあるのだろうが、これで大丈夫そうな予感がした。
結果、ヒリヒリ感も処置している間に徐々に消えていき、痕も残らず見事に何ともなかった。もちろんひどい火傷になってしまえば対処できる限度はあるだろうが、動物も怪我をしたときには傷を舐めて処置をしている。
忘れていた何かをまた思い出した気がした。

2011年5月23日月曜日

5月の長野巡りを終えて

昨日から二日間の長野県3カ所(塩尻、長野、松本)での講習会を終える。
月1回の定期として毎月行っているが、毎回発見の連続。3カ所それぞれに雰囲気が違うことも魅力的なところ。

松本では身体匠工房という講習会を展開しており、ここでは特別なジャンルにこだわることなく、今ある身体の使い方を変えてみることで発見できる身体のおもしろさ・不思議さを感じてもらっている。
様々に動かす自分の身体を通して、身体に自然とある感覚であったり、より有効と思われる身体動作に注目している。

今日の身体匠工房後、今度の夏にどこか泊まりがけで開催をしてもおもしろそうだという企画が話題になり、それについてはこれから検討が始まる。
果たしてどうなることやら、しかし実現すればおもしろそうだ。

夏にかけては松本以外に関東エリアでも講習会活動を増やして行こうと考えている、そのひとつとして多摩市内でも講習会を検討中。
詳細はまた決まり次第、HPにもアップしていこうと思う。


今後なるべく頻繁にブログを更新していけたらと思っている。思っているが…。
というところで本日は休むとしよう。


身体匠工房についてはコチラ→http://web.mac.com/make.up.voice/iWeb/97FDD28F-378D-4FA0-9A93-B591AA871448/638A774C-B4B6-42D9-AE20-C2D460A840A6.html

2011年5月10日火曜日

はじめのいっぽ

ブログを立ち上げてみました。
twitterなどの短い文章では表現できないことを表現する場としてはじめます。
頭の中の思いつくこと、考えることを出し切ることでまた新しいなにかが生まれてくる。
星の数ほどあるweb世界にひとつの窓をつくってみます。